今日の一枚〜新井田川を進む大型船
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戦艦大和
戦艦大和は日本海軍が造った世界最大の戦艦です。
排水量は約7万2千トン、主砲は46cm砲・・・等々、その性能は他の戦艦と比べ群を抜くものでした。
昭和16年12月16日に就役した大和は、昭和20年4月7日、沖縄への海上特攻作戦で米艦載機の攻撃を受け、沈没しました。
ということで、たまたま4月7日は何かの日だったよな・・・と考えていたら、大和が沈没した日だとi
うことを思い出した訳です。
戦艦大和の模型。
昭和20年の状態です。
こちらは食玩の戦艦大和(手前2隻)と、同型艦の武蔵(写真奥)です。
武蔵は昭和19年10月24日にレイテ沖海戦で沈没しています。
排水量は約7万2千トン、主砲は46cm砲・・・等々、その性能は他の戦艦と比べ群を抜くものでした。
昭和16年12月16日に就役した大和は、昭和20年4月7日、沖縄への海上特攻作戦で米艦載機の攻撃を受け、沈没しました。
ということで、たまたま4月7日は何かの日だったよな・・・と考えていたら、大和が沈没した日だとi
うことを思い出した訳です。
戦艦大和の模型。
昭和20年の状態です。
こちらは食玩の戦艦大和(手前2隻)と、同型艦の武蔵(写真奥)です。
武蔵は昭和19年10月24日にレイテ沖海戦で沈没しています。
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今日の一枚〜火力発電所
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ある日の夕食〜味のない野菜炒め
ある日の我が家の夕食は、もやしと肉だけの簡単な野菜炒めだった。
食卓につき、いざ食べようとすると家内に、「味、ついてないよ」と言われた。
味のない野菜炒め作ってどうすんだ?おい。
と思ったら、テーブルに並ぶ調味料の数々。
そういえば、某食堂でも味のない野菜炒めと一緒にソースが出てきたっけ。
美味しいのかどうか、おそるおそる試してみると、これが意外にも美味しかった。
家内はポン酢を使っていたが、私はもらい物の焼き肉のたれと源たれオンリー。
こういう野菜炒めの食べ方も意外と美味しいものだ。
この日はたこの刺身にわさび漬けも食卓に並んだ。
たこの刺身は特別好きでもないが、嫌いでもない。
わさび漬けは大好きだが、なかなか辛いものには出会えないでいる。
今回、お土産でもらったわさび漬けはなかなかの辛さだった。
たこ刺し。
わさび漬け。
食卓につき、いざ食べようとすると家内に、「味、ついてないよ」と言われた。
味のない野菜炒め作ってどうすんだ?おい。
と思ったら、テーブルに並ぶ調味料の数々。
そういえば、某食堂でも味のない野菜炒めと一緒にソースが出てきたっけ。
美味しいのかどうか、おそるおそる試してみると、これが意外にも美味しかった。
家内はポン酢を使っていたが、私はもらい物の焼き肉のたれと源たれオンリー。
こういう野菜炒めの食べ方も意外と美味しいものだ。
この日はたこの刺身にわさび漬けも食卓に並んだ。
たこの刺身は特別好きでもないが、嫌いでもない。
わさび漬けは大好きだが、なかなか辛いものには出会えないでいる。
今回、お土産でもらったわさび漬けはなかなかの辛さだった。
たこ刺し。
わさび漬け。
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今日の一枚〜夜の小中野にて
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今日の一枚〜内丸三丁目の南部恭秀家
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写真のための写真、ブログのための写真
いつもくよくよと悩んでばかりいる藤九郎だが、数年前にもどうでもいいことで悩んだ挙げ句、ブログを止めようと思ったことがある。
あれは平成22年(2010年)のことだったと思う。
その時の悩みのお題は、「写真のための写真なのか、ブログのための写真なのか」だった。
悩むほどのことではないが、私にとっては重要な問題だった。
ブログを始める前はとにかく写真を撮ることが面白かった。
ブログを始めてからは、とにかくブログ更新が面白く、ネタを求め、地元の風景や祭り、イベント、旅行等々に走り回るようになった。
そんなある時。
私は三社大祭の行列を撮っていた。
大混雑で人の背中しか撮れない状態。
「これじゃブログに載せる写真が撮れない」という焦りが頭に浮かんだ。
その瞬間、「自分はなんのために写真を撮っているのか?」、「写真が好きだから撮っているんじゃないのか?」、「祭りが好きだから祭りを見ていたんじゃないのか?」という思いが頭に浮かんだ。
今までの自分が、ブログのネタ探しのために写真を撮っていたということに気がつき、ブログへの気持ちが急激に冷めていった。
その後、ブログは休止状態になったが、結局翌年にはブログを再開することになった。
自分の中で気持ちの整理がついたこともあるが、ある出来事を機に、故郷の景色を少しでも残していこうという思いが強くなったことが再開の大きな理由だ。
今でもブログのために写真を撮ったりすることがあるが、結局行き着くところは「写真のための写真」で落ち着いている。
平成19年にブログを始めてから平成22年夏に至るまで、約三年半かけてようやくこのことに気づいた訳だ。
随分と時間がかかったものだ。
ちなみに・・・。
今、久しぶりにランキングに参加して、今まで以上に多くの人に見てもらえるのが楽しく、久しぶりに「ブログのための写真」になりかかっていることに気がつき、色々と考えることが多い今日この頃だ。
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あれは平成22年(2010年)のことだったと思う。
その時の悩みのお題は、「写真のための写真なのか、ブログのための写真なのか」だった。
悩むほどのことではないが、私にとっては重要な問題だった。
ブログを始める前はとにかく写真を撮ることが面白かった。
ブログを始めてからは、とにかくブログ更新が面白く、ネタを求め、地元の風景や祭り、イベント、旅行等々に走り回るようになった。
そんなある時。
私は三社大祭の行列を撮っていた。
大混雑で人の背中しか撮れない状態。
「これじゃブログに載せる写真が撮れない」という焦りが頭に浮かんだ。
その瞬間、「自分はなんのために写真を撮っているのか?」、「写真が好きだから撮っているんじゃないのか?」、「祭りが好きだから祭りを見ていたんじゃないのか?」という思いが頭に浮かんだ。
今までの自分が、ブログのネタ探しのために写真を撮っていたということに気がつき、ブログへの気持ちが急激に冷めていった。
その後、ブログは休止状態になったが、結局翌年にはブログを再開することになった。
自分の中で気持ちの整理がついたこともあるが、ある出来事を機に、故郷の景色を少しでも残していこうという思いが強くなったことが再開の大きな理由だ。
今でもブログのために写真を撮ったりすることがあるが、結局行き着くところは「写真のための写真」で落ち着いている。
平成19年にブログを始めてから平成22年夏に至るまで、約三年半かけてようやくこのことに気づいた訳だ。
随分と時間がかかったものだ。
ちなみに・・・。
今、久しぶりにランキングに参加して、今まで以上に多くの人に見てもらえるのが楽しく、久しぶりに「ブログのための写真」になりかかっていることに気がつき、色々と考えることが多い今日この頃だ。
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館鼻公園の夜桜
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予告編〜セメント工場専用線跡散策
4月に入ってから初めての市内散策をしてきました。
テーマを持った散策は久しぶりです。
今回のテーマは、八戸セメント工場専用線跡の散策です。
以前、「セメント工場界隈の景色」という記事でも少し紹介したことがありますが、今回は最初から専用線跡をたどるのが目的でした。
今回は館鼻公園〜陸奥湊駅〜セメント工場とたどり、その後はホロキ長根やセメントグランド付近を散策しました。
以前もたどったコースですが、季節も違うし天気も違う。
となると気分も随分変わってきます。
今回の散策は、小学生時代に遊び回った場所ばかりだったので当時のことを随分思い出し、なんとなく切ない気分になりました。
今回使ったカメラは古いフィルムカメラとデジタル一眼レフ。
もやっとして色ノリの悪い画像は古いフィルムカメラ、きれいな画像はデジタル一眼レフで撮ったものです。
昨日の夜にはアップする予定でしたが、PCが不調でフィルムを一コマスキャンする度に冷えるのを待つという状態。
なかなか作業も進まないのでまあ、ゆるゆると記事を作ってアップしたいと思います。
テーマを持った散策は久しぶりです。
今回のテーマは、八戸セメント工場専用線跡の散策です。
以前、「セメント工場界隈の景色」という記事でも少し紹介したことがありますが、今回は最初から専用線跡をたどるのが目的でした。
今回は館鼻公園〜陸奥湊駅〜セメント工場とたどり、その後はホロキ長根やセメントグランド付近を散策しました。
以前もたどったコースですが、季節も違うし天気も違う。
となると気分も随分変わってきます。
今回の散策は、小学生時代に遊び回った場所ばかりだったので当時のことを随分思い出し、なんとなく切ない気分になりました。
今回使ったカメラは古いフィルムカメラとデジタル一眼レフ。
もやっとして色ノリの悪い画像は古いフィルムカメラ、きれいな画像はデジタル一眼レフで撮ったものです。
昨日の夜にはアップする予定でしたが、PCが不調でフィルムを一コマスキャンする度に冷えるのを待つという状態。
なかなか作業も進まないのでまあ、ゆるゆると記事を作ってアップしたいと思います。
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今日の一枚〜たぬき小路
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日曜日、春の影
ついこの前までは春の気配が感じられるという程度だったが、確実に春を感じている今日この頃。
昨日・一昨日と違い、今日は風もなく穏やかな天気で気分も良く、少し出かけてみました。
といっても、買い物のついでにちょこちょこ写真を撮っただけなのですが・・・。
今回は春の日差しを受けて出来た影を集めてみました。
こちらは影ではなく、咲いていた花。
コンクリートに映った柵の影。
車の影です。
ドアミラーの形や、窓を透過して僅かに色のついた部分が印象に残りました。
自転車の影。
一番印象に残ったのがこの写真です。
自画像。
久しぶりに影のセルフポートレートをしてみました。
こちらも柵とその影です。
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昨日・一昨日と違い、今日は風もなく穏やかな天気で気分も良く、少し出かけてみました。
といっても、買い物のついでにちょこちょこ写真を撮っただけなのですが・・・。
今回は春の日差しを受けて出来た影を集めてみました。
こちらは影ではなく、咲いていた花。
コンクリートに映った柵の影。
車の影です。
ドアミラーの形や、窓を透過して僅かに色のついた部分が印象に残りました。
自転車の影。
一番印象に残ったのがこの写真です。
自画像。
久しぶりに影のセルフポートレートをしてみました。
こちらも柵とその影です。
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セメント工場専用線跡散策(その1)
陸奥湊駅から八戸セメント(以下セメント工場)へと続く、細長い道がある。
歩道だったり、公園だったり、車も通る道だったり・・・。
ここがかつて、セメント工場専用線が通っていた線路跡だ。
子供の頃、父の運転する車に乗って出かけた帰り、よくこの専用線の踏切に引っかかることがあった。
警報機が鳴ったのに、いつまでもいつまでも列車は来ない。
ようやく音が近づいて来たと思ったら、ディーゼルカーに牽引された真っ黒なタンクがゆっくり、ゆっくりと目の前を走っていく。
遮断機が上がるまでしばらく待たなくてはならず、子供心に毎回イライラしていたのを覚えている。
一番印象に残っているのは小学校を卒業する年だったと思う。
それは、湿っぽい雪が降る中を黒いタンクがゆっくりと目の前を走り去る姿だった。
それから何年経っただろうか、高校生の頃にはこの光景は見られなくなっていたような気がする。
そして、就職してから専用線跡を訪れた時にはレールは撤去され、跡には草が生えた様はまさに兵どもが夢の跡という光景だった。
さて、この専用線跡。
電子地図で計ったところ、セメント工場から陸奥湊駅までは約700m程。
この短い距離では普通の列車のようにスピードを出すことは出来ない。
確かにゆっくり走らなければならないだろう。
おそらくそれが、踏切が開くのを待つ我々をいらつかせた原因なのかもしれない。
いつものように館鼻公園下へ車を止める。
いつの間にか原っぱだったところに大きなソーラーパネルが設置されていた。
珍しいからと、早速撮影したのだが沈胴式のレンズを中途半端に引き出した状態で撮ってしまった。
仕上がりは、現像を待つまでもなく予想できた。
帰りにでも撮り直すことにしよう。
上ノ山の坂道を下っていく。
くねくねした坂道を下っていくと、道の向こうに階上岳が見えてきた。
この坂道から見る階上岳はなかなかのものだ。
坂を下って左へ曲がると陸奥湊の市場通り。
しばらく前から大洋食堂が開いてないと思っていたが、特に気にしていなかった。
改めて張り紙を見ると閉店したと書いてあった。
一度も入ったことのない店だったが、少し寂しい気がする。
陸奥湊駅前にある市営魚菜小売市場。
ここはちょこちょこと立ち寄る場所だ。
陸奥湊駅を撮る。
新しい駅舎になったのはいつ頃だったろうか、小学生の頃だったろうか?
当時の私は、八戸線とは縁がない生活を送っていた。
どこへ行くにもバスか車か徒歩だった。
陸奥湊駅へ行くのは、せいぜい出稼ぎに行く祖父を見送る時ぐらい。
その祖父が出稼ぎをやめ、数年後に亡くなってからはこの駅へ行くことはなくなった。
その後、一度だけ陸奥湊駅を利用したことがある。
長根運動公園で小学校の陸上競技会があり、応援に行ったことがあった。
その帰りに同級生と一緒に八戸線に乗り、陸奥湊駅で降りた記憶があるのだが、不思議とその前後のことは思い出せない。
長根まではどうやって行ったのか?
現地解散だったのか?
本八戸駅から乗ったのだろうか?
クラスみんなで乗ったのか?
それがまったく思い出せない。
小学校で現地解散は考えられないのだが、昔ならあるかもしれない。
いずれにせよ同級生は家が陸奥湊駅から近い所にあり、私の家は少し離れていた。
その時、「汽車(昔から線路を走るものは全て汽車と呼んでいた)に乗ったことがない」と言ったら同級生から「嘘だろ?」と驚かれたのはよく覚えている。
駅前の通りを行ったり来たり。
踏切前を通りながら一枚撮る。
この踏切、正式名称は久保街道踏切だそうだ。
ここもよく通ったものだ。
記憶が確かなら踏切の近くに製麺所?があったような気がする。
なぜかそこで胃薬を売っていて、祖母の代から我が家定番の胃薬になっていた。
とても苦い粉薬だったがよく効く薬だった。
だが、大人になった頃には製造中止となり、手に入らなくなってしまった。
それがとても残念だった。
陸奥湊駅の連絡通路の階段を上る。
階段をゆっくりと上り下りするお年寄り。
待合室では次の便を待ちながら世間話に花を咲かせている人達がいる。
連絡通路から上りと下りの景色を眺める。
上り方向にはNTTの鉄塔や中心街が見え、下り方向では踏切を行き来する車、人々の姿が見える。
ここからの景色も見ていて飽きない。
かすかに汽笛の音が聞こえたのでしばらく待っていると、上り列車がホームへ入ってきた。
撮るぞ、と来るのを待ち構えていたのだが、撮るタイミングを逃してしまった。
以下、その2へ続きます。
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歩道だったり、公園だったり、車も通る道だったり・・・。
ここがかつて、セメント工場専用線が通っていた線路跡だ。
子供の頃、父の運転する車に乗って出かけた帰り、よくこの専用線の踏切に引っかかることがあった。
警報機が鳴ったのに、いつまでもいつまでも列車は来ない。
ようやく音が近づいて来たと思ったら、ディーゼルカーに牽引された真っ黒なタンクがゆっくり、ゆっくりと目の前を走っていく。
遮断機が上がるまでしばらく待たなくてはならず、子供心に毎回イライラしていたのを覚えている。
一番印象に残っているのは小学校を卒業する年だったと思う。
それは、湿っぽい雪が降る中を黒いタンクがゆっくりと目の前を走り去る姿だった。
それから何年経っただろうか、高校生の頃にはこの光景は見られなくなっていたような気がする。
そして、就職してから専用線跡を訪れた時にはレールは撤去され、跡には草が生えた様はまさに兵どもが夢の跡という光景だった。
さて、この専用線跡。
電子地図で計ったところ、セメント工場から陸奥湊駅までは約700m程。
この短い距離では普通の列車のようにスピードを出すことは出来ない。
確かにゆっくり走らなければならないだろう。
おそらくそれが、踏切が開くのを待つ我々をいらつかせた原因なのかもしれない。
いつものように館鼻公園下へ車を止める。
いつの間にか原っぱだったところに大きなソーラーパネルが設置されていた。
珍しいからと、早速撮影したのだが沈胴式のレンズを中途半端に引き出した状態で撮ってしまった。
仕上がりは、現像を待つまでもなく予想できた。
帰りにでも撮り直すことにしよう。
上ノ山の坂道を下っていく。
くねくねした坂道を下っていくと、道の向こうに階上岳が見えてきた。
この坂道から見る階上岳はなかなかのものだ。
坂を下って左へ曲がると陸奥湊の市場通り。
しばらく前から大洋食堂が開いてないと思っていたが、特に気にしていなかった。
改めて張り紙を見ると閉店したと書いてあった。
一度も入ったことのない店だったが、少し寂しい気がする。
陸奥湊駅前にある市営魚菜小売市場。
ここはちょこちょこと立ち寄る場所だ。
陸奥湊駅を撮る。
新しい駅舎になったのはいつ頃だったろうか、小学生の頃だったろうか?
当時の私は、八戸線とは縁がない生活を送っていた。
どこへ行くにもバスか車か徒歩だった。
陸奥湊駅へ行くのは、せいぜい出稼ぎに行く祖父を見送る時ぐらい。
その祖父が出稼ぎをやめ、数年後に亡くなってからはこの駅へ行くことはなくなった。
その後、一度だけ陸奥湊駅を利用したことがある。
長根運動公園で小学校の陸上競技会があり、応援に行ったことがあった。
その帰りに同級生と一緒に八戸線に乗り、陸奥湊駅で降りた記憶があるのだが、不思議とその前後のことは思い出せない。
長根まではどうやって行ったのか?
現地解散だったのか?
本八戸駅から乗ったのだろうか?
クラスみんなで乗ったのか?
それがまったく思い出せない。
小学校で現地解散は考えられないのだが、昔ならあるかもしれない。
いずれにせよ同級生は家が陸奥湊駅から近い所にあり、私の家は少し離れていた。
その時、「汽車(昔から線路を走るものは全て汽車と呼んでいた)に乗ったことがない」と言ったら同級生から「嘘だろ?」と驚かれたのはよく覚えている。
駅前の通りを行ったり来たり。
踏切前を通りながら一枚撮る。
この踏切、正式名称は久保街道踏切だそうだ。
ここもよく通ったものだ。
記憶が確かなら踏切の近くに製麺所?があったような気がする。
なぜかそこで胃薬を売っていて、祖母の代から我が家定番の胃薬になっていた。
とても苦い粉薬だったがよく効く薬だった。
だが、大人になった頃には製造中止となり、手に入らなくなってしまった。
それがとても残念だった。
陸奥湊駅の連絡通路の階段を上る。
階段をゆっくりと上り下りするお年寄り。
待合室では次の便を待ちながら世間話に花を咲かせている人達がいる。
連絡通路から上りと下りの景色を眺める。
上り方向にはNTTの鉄塔や中心街が見え、下り方向では踏切を行き来する車、人々の姿が見える。
ここからの景色も見ていて飽きない。
かすかに汽笛の音が聞こえたのでしばらく待っていると、上り列車がホームへ入ってきた。
撮るぞ、と来るのを待ち構えていたのだが、撮るタイミングを逃してしまった。
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日曜日、路上の風景
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セメント工場専用線跡散策(その2)
「セメント工場専用線跡散策(その1)」の続きです。
駅南口へと出て、信号交差点へと進む。
道路を渡って後ろを振り返ると2本の道路が見える。
向かって左側が専用線の跡で、現在はきれいに舗装されている。
先へ進むといよいよ線路跡らしくなってくる。
ここは車も通れる道で、片側一車線と、狭く入り組んだ道の多いこのあたりではそれなりに広い道だと思う。
さらに進むと道幅は狭くなり、石製の車止めが設置されていた。
片側が高い地形なので線路の幅も広くできなかったのかもしれない。
車止めをさらに奥へ進む。
そこには、鉄棒の他、滑り台やぶらんこ等の遊具が置かれた小公園になっていた。
地図で見るとここは湊緑地というらしい。
湊緑地から道路を越えるとそこは砂利道。
車止めが置かれ、両側にはベンチがあった。
7年前にここをたどった時、ベンチで談笑するおばあさん達に線路跡のことを訪ねたことがあったが、確かその時のベンチがこれだったと思う。
反対側の車止めを越えると再び舗装された車通行可の道路に変わり、民家の奥にはセメント工場が、左手にはホロキ長根の坂道が見えてきた。
さらに歩みを進めると正面にセメント工場の柵が見えた。
いよいよ終点が近いようだ。
柵の手前まで来るとかつての専用線の出入り口が見えた。
ここからあの黒いタンクがゆっくりと陸奥湊駅を目指して走っていったのだろう。
とりあえず、これで専用線跡の散策は終了。
後は気の向くまま、好きなところをふらふら歩くだけだ。
どんよりとした曇り空を背に、セメント工場のタワーがそびえ立つ。
下に三角屋根の大きな建物があるが、そこに太いパイプがあったような気がするが、気のせいだろうか?
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駅南口へと出て、信号交差点へと進む。
道路を渡って後ろを振り返ると2本の道路が見える。
向かって左側が専用線の跡で、現在はきれいに舗装されている。
先へ進むといよいよ線路跡らしくなってくる。
ここは車も通れる道で、片側一車線と、狭く入り組んだ道の多いこのあたりではそれなりに広い道だと思う。
さらに進むと道幅は狭くなり、石製の車止めが設置されていた。
片側が高い地形なので線路の幅も広くできなかったのかもしれない。
車止めをさらに奥へ進む。
そこには、鉄棒の他、滑り台やぶらんこ等の遊具が置かれた小公園になっていた。
地図で見るとここは湊緑地というらしい。
湊緑地から道路を越えるとそこは砂利道。
車止めが置かれ、両側にはベンチがあった。
7年前にここをたどった時、ベンチで談笑するおばあさん達に線路跡のことを訪ねたことがあったが、確かその時のベンチがこれだったと思う。
反対側の車止めを越えると再び舗装された車通行可の道路に変わり、民家の奥にはセメント工場が、左手にはホロキ長根の坂道が見えてきた。
さらに歩みを進めると正面にセメント工場の柵が見えた。
いよいよ終点が近いようだ。
柵の手前まで来るとかつての専用線の出入り口が見えた。
ここからあの黒いタンクがゆっくりと陸奥湊駅を目指して走っていったのだろう。
とりあえず、これで専用線跡の散策は終了。
後は気の向くまま、好きなところをふらふら歩くだけだ。
どんよりとした曇り空を背に、セメント工場のタワーがそびえ立つ。
下に三角屋根の大きな建物があるが、そこに太いパイプがあったような気がするが、気のせいだろうか?
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今日の一枚〜水産公社前の鯉のぼり
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今日の一枚〜明け方の小船渡
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セメント工場専用線跡散策(その3)
「セメント工場専用線跡散策(その2)」の続きです。
セメント工場から離れ、ホロキ長根の坂道を上っていく。
急な雪に降られ、濡れた路面が黒く光っていた。
ホロキ長根の清水のポンプは若干部品が足りないようだが概ね原形をとどめていた。
確かポンプの後ろに少しだけ水が湧いていたはずだが、今回は確認しなかった。
清水の近くには「黒目明神」「秋葉神社」と書かれた神社があり、横には「ホロキ長根生活館」と書かれていた。
坂道をさらに進むと、海安寺の前に出る。
海安寺の参道を撮影していると、後ろの電線にたむろしていたカラスから糞攻撃を受けた。
少し距離が離れていたのにうまく斜めに飛ばしたものだ。
幸い弾着がずれたようなので一安心した。
同級生の家があった辺りを進み、セメントグランドへ出る。
昔はグランドの片隅にあった鉄骨や様々な鉄材によじ登ったり隠れたりと遊び回ったものだが、今はそれも出来ない。
あの頃は楽しかった。
人生で一番楽しかった時期かもしれない。
感慨にふけりながらセメントグランドを後にする。
元来た坂道を下っていくと正面奥に柳橋、鉄橋、新湊橋、湊橋、石油タンク等が見える。
この景色は湊町八戸らしくて大好きだ(もっとも、海が見えるわけではなく、新井田川が見えているのだが)。
途中まで専用線跡をたどり、二又になっている道を左へと進む。
ちなみに右は専用線だ。
湊のユニバース(現在のビッグハウス)へ行く時に行き交う車で混雑していた坂道を横断する。
交差点角には古い建物がある。
確かここは床屋だったはず?だ。
横には「青潮小学校900m」と書かれていた。
昔とあまり変わらない景色の中を歩き、船越内科外科脇の道から八戸線の線路へと向かう。
線路脇の坂道。
この坂道も子供の頃、よく歩いた道だ。
以前、八戸線をSLが走った時はこの辺りで撮影した覚えがある。
坂を下った正面にはかつて酒屋さんがあったはずだ。
線路脇を、考え事をしながらふらふらと歩き、陸奥湊駅を撮る。
いつも駅をアップで撮っていたからたまには少し後ろに下がって撮ってみた。
よく、「一歩前に出て撮れ」というが、「一歩下がって撮る」のもいいのでは?と私は思っている。
なぜ?と聞かれても困るのだが、個人の好みだから仕方ない。
以下、その4へと続く。
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セメント工場から離れ、ホロキ長根の坂道を上っていく。
急な雪に降られ、濡れた路面が黒く光っていた。
ホロキ長根の清水のポンプは若干部品が足りないようだが概ね原形をとどめていた。
確かポンプの後ろに少しだけ水が湧いていたはずだが、今回は確認しなかった。
清水の近くには「黒目明神」「秋葉神社」と書かれた神社があり、横には「ホロキ長根生活館」と書かれていた。
坂道をさらに進むと、海安寺の前に出る。
海安寺の参道を撮影していると、後ろの電線にたむろしていたカラスから糞攻撃を受けた。
少し距離が離れていたのにうまく斜めに飛ばしたものだ。
幸い弾着がずれたようなので一安心した。
同級生の家があった辺りを進み、セメントグランドへ出る。
昔はグランドの片隅にあった鉄骨や様々な鉄材によじ登ったり隠れたりと遊び回ったものだが、今はそれも出来ない。
あの頃は楽しかった。
人生で一番楽しかった時期かもしれない。
感慨にふけりながらセメントグランドを後にする。
元来た坂道を下っていくと正面奥に柳橋、鉄橋、新湊橋、湊橋、石油タンク等が見える。
この景色は湊町八戸らしくて大好きだ(もっとも、海が見えるわけではなく、新井田川が見えているのだが)。
途中まで専用線跡をたどり、二又になっている道を左へと進む。
ちなみに右は専用線だ。
湊のユニバース(現在のビッグハウス)へ行く時に行き交う車で混雑していた坂道を横断する。
交差点角には古い建物がある。
確かここは床屋だったはず?だ。
横には「青潮小学校900m」と書かれていた。
昔とあまり変わらない景色の中を歩き、船越内科外科脇の道から八戸線の線路へと向かう。
線路脇の坂道。
この坂道も子供の頃、よく歩いた道だ。
以前、八戸線をSLが走った時はこの辺りで撮影した覚えがある。
坂を下った正面にはかつて酒屋さんがあったはずだ。
線路脇を、考え事をしながらふらふらと歩き、陸奥湊駅を撮る。
いつも駅をアップで撮っていたからたまには少し後ろに下がって撮ってみた。
よく、「一歩前に出て撮れ」というが、「一歩下がって撮る」のもいいのでは?と私は思っている。
なぜ?と聞かれても困るのだが、個人の好みだから仕方ない。
以下、その4へと続く。
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好きな言葉
世の中には様々な名言・格言がある。
自分の心に響く言葉もあれば、ぐさりと刺さってつらい言葉もある。
そんな言葉のうち、自分が好きな言葉をいくつか書いて見たいと思う。
1 「見るべき程のことは見つ」(見るべき程の事をば見つ)
壇ノ浦の合戦で入水した、平知盛の最後の言葉。
2 不悪口
人のことを悪く言わない、乱暴なことを言わない。
3 不瞋恚
腹を立てない。
4 不邪見
誤った見方をしない、よこしまな見方をしない。
5 諸行無常
すべてのものは移ろいゆく。
6 柳緑花紅
柳は緑、花は紅、ありのままの姿が真実。
7 ただ春の夜の夢のごとし。
春の夜の夢のようにはかないもの。
平家物語や仏教用語ばかりで、実際に好きだという言葉は、1、5、6、7。
他はなるほど、と感じ入った言葉だ。
いいな、と思った言葉どおりに生きていくというのはなかなか難しいものだ。
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自分の心に響く言葉もあれば、ぐさりと刺さってつらい言葉もある。
そんな言葉のうち、自分が好きな言葉をいくつか書いて見たいと思う。
1 「見るべき程のことは見つ」(見るべき程の事をば見つ)
壇ノ浦の合戦で入水した、平知盛の最後の言葉。
2 不悪口
人のことを悪く言わない、乱暴なことを言わない。
3 不瞋恚
腹を立てない。
4 不邪見
誤った見方をしない、よこしまな見方をしない。
5 諸行無常
すべてのものは移ろいゆく。
6 柳緑花紅
柳は緑、花は紅、ありのままの姿が真実。
7 ただ春の夜の夢のごとし。
春の夜の夢のようにはかないもの。
平家物語や仏教用語ばかりで、実際に好きだという言葉は、1、5、6、7。
他はなるほど、と感じ入った言葉だ。
いいな、と思った言葉どおりに生きていくというのはなかなか難しいものだ。
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セメント工場専用線跡散策(その4)
「セメント工場専用線跡散策(その3)」の続きです。
また陸奥湊駅の連絡通路を渡り、市営魚菜小売市場脇の坂道を上る。
この道を進むと生活館や上ノ山から下へ下りる階段がある。
この階段はかつては坂道だったそうだ。
和井田登氏の「なつかしの八戸」に、確か昭和30年代の写真が載っていたはずだ。
再び館鼻公園への坂道に出て、十王院駐車場から周囲の景色を楽しむ。
パチンコ屋さんの向こうには、新井田川とセメント工場が見える。
少し移動すると湊トンネルの上に出る。
この下をトンネルが通っているのかと考えるとなんとなく感心してしまう。
遠くを見ると、河村毛皮店、かつてユニバース小中野店があったマンション、小中野小学校、NTTに中心街まで眺めることが出来る。
だが、かつては見えたであろう旧旭商会の建物は見ることが出来ない。
左の坂道へと進む。
正面には大きな木が見え、その奥には小中野のマンションがそびえたっているのが見える。
この坂道を夏に歩くのはなかなかつらいものがある。
床屋だった?建物や、今は誰も住んでいないであろう民家の前を通りながら昔に思いをはせる。
空き地の向こうには八戸大橋が、そしてその向こうには青空と白い雲が広がっていた。
散策の初めに撮影失敗した、ソーラーパネルを撮直す。
今度はデジカメなのでなんの心配もなく撮ることが出来た。
再び館鼻公園に立ち寄り、グレットタワーを撮影して階段を下りる。
新井田川対岸には、ずらりと並んだタンクの群れが。
このタンクも八戸の素晴らしい景色の一つだろう。
これで今回の散策は終わりとなる。
セメント専用線跡の散策と銘打っておきながら、その大半は陸奥湊駅とその周辺のの散策になってしまった。
だらだらと長い文章と、私にしては珍しく数の多い写真だったが、どちらもうまくまとめられなかったのが残念だった。
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また陸奥湊駅の連絡通路を渡り、市営魚菜小売市場脇の坂道を上る。
この道を進むと生活館や上ノ山から下へ下りる階段がある。
この階段はかつては坂道だったそうだ。
和井田登氏の「なつかしの八戸」に、確か昭和30年代の写真が載っていたはずだ。
再び館鼻公園への坂道に出て、十王院駐車場から周囲の景色を楽しむ。
パチンコ屋さんの向こうには、新井田川とセメント工場が見える。
少し移動すると湊トンネルの上に出る。
この下をトンネルが通っているのかと考えるとなんとなく感心してしまう。
遠くを見ると、河村毛皮店、かつてユニバース小中野店があったマンション、小中野小学校、NTTに中心街まで眺めることが出来る。
だが、かつては見えたであろう旧旭商会の建物は見ることが出来ない。
左の坂道へと進む。
正面には大きな木が見え、その奥には小中野のマンションがそびえたっているのが見える。
この坂道を夏に歩くのはなかなかつらいものがある。
床屋だった?建物や、今は誰も住んでいないであろう民家の前を通りながら昔に思いをはせる。
空き地の向こうには八戸大橋が、そしてその向こうには青空と白い雲が広がっていた。
散策の初めに撮影失敗した、ソーラーパネルを撮直す。
今度はデジカメなのでなんの心配もなく撮ることが出来た。
再び館鼻公園に立ち寄り、グレットタワーを撮影して階段を下りる。
新井田川対岸には、ずらりと並んだタンクの群れが。
このタンクも八戸の素晴らしい景色の一つだろう。
これで今回の散策は終わりとなる。
セメント専用線跡の散策と銘打っておきながら、その大半は陸奥湊駅とその周辺のの散策になってしまった。
だらだらと長い文章と、私にしては珍しく数の多い写真だったが、どちらもうまくまとめられなかったのが残念だった。
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石堂の遊歩道散策1
少し風が冷たかった、4月12日(土)。
空はきれいな青空。
どうせなら風がなければなあ、と、重い腰を上げて石堂まで出かけてきました。
今回の散策場所は、石堂2丁目の石堂1号公園から石堂4丁目の八戸モータースクール付近までの遊歩道です。
この遊歩道はさらに先へと続いていますが今回はこの辺りでUターンしました。
もう少し暖かくなったら桜の花を愛でながら、のんびりと散策をしてみたいものです。
石堂1号公園から歩き始めて間もない地点。
少し寒々とした感じですが、桜の時期が楽しみな場所です。
今シーズン、ようやく立派なばっけに出会えました。
私の好きなネギ畑。
葉がつけば賑やかなのですが・・・。
ピント合わせに苦労した木の芽。
何枚も撮ってようやく成功した一枚です。
犬の糞の始末について書かれています。
それにしてもなんでカッパなんでしょうか?
こういう、なんでもない草の生い茂る風景が好きです。
仕事を休み、のんびり過ごすゴミ籠。
上には中に入るのを待ちわびている缶が。
青空に歩道橋の黄色が映えます。
歩道橋から沼館大橋を望む。
同じ場所からユニバース下長店を撮影しました。
こちらも歩道橋から。
階上岳が見えます。
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空はきれいな青空。
どうせなら風がなければなあ、と、重い腰を上げて石堂まで出かけてきました。
今回の散策場所は、石堂2丁目の石堂1号公園から石堂4丁目の八戸モータースクール付近までの遊歩道です。
この遊歩道はさらに先へと続いていますが今回はこの辺りでUターンしました。
もう少し暖かくなったら桜の花を愛でながら、のんびりと散策をしてみたいものです。
石堂1号公園から歩き始めて間もない地点。
少し寒々とした感じですが、桜の時期が楽しみな場所です。
今シーズン、ようやく立派なばっけに出会えました。
私の好きなネギ畑。
葉がつけば賑やかなのですが・・・。
ピント合わせに苦労した木の芽。
何枚も撮ってようやく成功した一枚です。
犬の糞の始末について書かれています。
それにしてもなんでカッパなんでしょうか?
こういう、なんでもない草の生い茂る風景が好きです。
仕事を休み、のんびり過ごすゴミ籠。
上には中に入るのを待ちわびている缶が。
青空に歩道橋の黄色が映えます。
歩道橋から沼館大橋を望む。
同じ場所からユニバース下長店を撮影しました。
こちらも歩道橋から。
階上岳が見えます。
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