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Channel: みなと八戸日記
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湊橋界隈を歩く(4.湊橋、上ノ山)

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再び湊橋へ。
今度は小中野から湊町へと橋を越える。
橋を越えたら岩手銀行角を曲がる。

男山の赤煉瓦、板壁。
この道もいつも通っている。
そして、毎回同じようなショットを撮っている。
同じ場所で同じアングルで撮っているつもりだが、毎回毎回違う写真が出来上がる。
その時の気分、場所の雰囲気で写真の出来も違うのだろう。

松竹湯前から大祐神社へと向かう。
松竹湯にはしばらく入ってない。
前に入ったのはいつだったろうか。

大祐神社に参拝し、坂を上る。
上ノ山はけっこう急な坂が多い。
今はまだいいが冬になると滑るのでつらいだろう。
坂を上りきったら館鼻公園へと続く坂をさらに上る。
といってもそれほど急な坂ではない。
平日の午後に穏やかな日差しを浴びながらこの坂を歩いていたら小学校の遠足や写生大会の時を思い出した。
行事を終え、学校まで列を組んで歩いたとき。
その時も今日のように午後の日差しが柔らかだったような気がする。
あれは何十年前だっただろうか・・・。

館鼻公園ではひなたぼっこを楽しむ近所の老人達の姿が。
ベンチには色鮮やかな落ち葉がちらばっていた。
こうして長閑な景色を見ていると、もうすぐ秋も終わり、冬がやってくるのが信じられない感じだ。


フィルムと古いレンズの組み合わせは光を優しく写し取ってくれる。


松竹湯。


まっすぐ行くと川口神社へ、右に曲がると上ノ山を上ることになる。


急な坂道だが、私の好きな道の一つだ。


屋根と木の間に見える八戸大橋が好きだ。


館鼻公園。
当たり前だが冬は寒いことだろう。

大晦日の風景

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平成23年も今日で終わろうとしている。

正直、振り返りたくない一年だったが、振り返らないわけにはいかない。

真剣に一年を振り返り、静かに新しい年を迎えたいと思っている。

平成23年12月31日の八戸市内。

車の数も少なく、人通りも少なかった。

唯一、スーパーや酒屋さんは年越しの料理や酒を買う人で賑わっていた。


馬淵大橋付近。


湊町付近。


いつもと変わらず市民を乗せて走る市営バス。


いつもと変わらずそびえ立つセメント工場。

平成24年元旦の八戸

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いつものように日が変わっただけだが、昨日と今日はまったく違うような気がする。

平成24年1月1日。
今日から新しい時間が刻まれ始めた。

穏やかな正月を迎えた八戸。
それほど寒くもなく、雪もなく、静かな元旦。
新しい年を迎えた八戸の景色を撮る。

新井田川の川面は静かで、鏡のようにセメント工場の姿を写している。
明鏡止水。
そんな言葉が浮かぶ。
今年はこういう心で過ごしたいものだ。

小中野を歩く。
平日でも日曜日でも人通りのない時間は必ずあるが、大晦日・正月の静けさというのはまた独特の雰囲気がある。
当たり前だが、店も、飲食店も閉まっている。
車の通りも少ない。
唯一混んでいるのはコンビニだけだ。

柵の中から遊んで欲しい光線を出しながらこちらを見ている犬と出会った。
柴系のミックスで、しっぽを振り振り、なでろなでろと目を輝かせる。
今年初めて戯れるお犬様だ。

大きい通りから裏道へと曲がる。
やがて舗装道路は途切れ、昔のままの未舗装道路と水たまり。
駆け回る子供たちの姿があれば、子供の頃と同じ正月風景だ。

あまりにも静かすぎるのでなんとなく拍子抜けしてしまい、写真を撮るのにもいまいち気乗りしない。
昼食もまだなので撮影はほどほどにして家に帰った。

去年とは違い、穏やかな年末年始。
今年はよいことがありますように・・・。


新井田川に映るセメント工場。
新井田川も穏やかな姿だった。


諏訪神社。


思わず撮りたくなる。


正月で暇をもてあましていたお犬様。




今年もこういう景色をひたすら撮り歩くのだろう。


お寺さんでもらったくるみ。

正月二日、蕪島と八戸の海

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今年は穏やかな正月を迎えることができた。
大雪も降らず、風も弱く、海も凪いでいた。

毎年恒例の蕪島神社への初詣。
天気にも恵まれ、お参りをするには最高の状態だ。

毎年大混雑の蕪島神社だが、今年は空いていた。
正月二日の午前中早い時間ということもあるのだろうが、去年よりは空いていたような気がする。

お参りをし、お守りを買い、おみくじを引き、境内を三周まわってカブとひょうたんの置物を撫でてからもう一度お参りをする。
風にたなびく大漁旗。
青い海。
階上岳や名久井岳や折爪岳に八甲田山。
風が冷たいけど、いつまでもこうして眺めていたい景色だ。

蕪島を後にして海沿いをドライブする。
蕪島への参り後に海沿いをドライブするのもここ数年の恒例行事となっている。
葦毛崎展望台で海を眺める。
蕪島より風は冷たくなく、日差しも暖かく感じる。

こうして長閑な春の海を眺めているのはいいものである。


正月二日の蕪島神社。
混むのはこれからだろうか?


大漁旗。
蕪島神社と大漁旗はよく似合う。


名久井岳。
セメント工場や湊小学校、白銀埠頭が見える。


葦毛崎展望台。
平成3〜4年頃から正月にはここへと通っていた。


葦毛崎と八戸の海。
波が少し高かったが、去年と比べると穏やかな正月だった。


不転・難除けのお守り。
津波被害にあっても蕪島の大鳥居は無事だったということで作られたお守り。
残り数個というところを何とか買った。

約二十年前の大晦日の写真と思い出

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平成某年大晦日。
その日は年越しの準備で家中慌ただしい雰囲気だった。
私は仏壇と神棚の掃除担当。
それも終わると特にやることもない。
愛犬も何かを手伝っている気分だったようで、忙しそうに家族の後を追っかけて右へ左へと走り回っていた。
こうなると暇をもてあましているのは私だけだった。

今年最後の写真でも撮ろう、と手に入れたばかりのニコンF4を持って自転車に乗って家を出る。
雪が舞う中、セメント工場前の河原まできた。

セメント工場対岸の緑地をぶらぶらと歩く。
正月準備が整った諏訪神社。
いつもと変わらず「ごお〜っ」という音をあげてそびえているセメント工場。

この当時は、劇的な写真、きれいな写真を撮らなくてはならないという考えが強く、雑誌に載っているような立派な写真を追い求めてばかりいた。
そんな写真を撮ろうとなんの考えもなくふらふらと近所へ出かけてはみたものの、何を撮っていいかわかるはずもなく。
もしかしたらいい写真が撮れているかもしれないという程度で適当にシャッターを切った。
フィルムは今はなきコニカクローム。
当時はコニカクロームを愛用していた。
富士クロームより安かったというのが大きな理由だが、ひねくれ者だから他の人があまり使わないものを使いたかったという気持ちもあったのだ。



家に帰り、祖母に写真を撮りに行ってきた、雪が降ってるというような話をした。
私の話を聞き、祖母は「この寒いのに」と言い、微笑みを浮かべた。
それから3ヶ月ほどして祖母は亡くなった。

この写真は別に祖母を写した写真ではないし、特別な出来の写真でもない。
ただなんとなく暇つぶしに撮った写真だった。
撮影から帰ってきて祖母と話をし、そして、祖母と迎えた最後の大晦日だったというだけだった。
ただ、それだけなのだがこの写真はなんとなく印象に残る写真となった。

この写真を撮った場所も当時と今では大きく変化している。
写真に写っている建物が無くなったのはいつ頃だろうか。

この写真を見ていると約二十年前も今も写真の出来は進歩していないような気がする。
一時期他の人と自分の写真を比べてうらやましく思ったり、自分も上手になりたいと思ったものだが最近はそういうことはなくなった。
余計なことは考えずにただ撮りたいものを撮る、下手は下手なりに写真を撮り、楽しむ。
ただそれだけだ。

あれから何度大晦日を過ごしてきたのか。
過ごしてきた年月ほど人間として成長していない自分を祖母が見たらどう思うのだろうか。
やっぱり優しく微笑んでくれるのだろうか。

昔の写真を見ていたらふとそんなことを思い出してしまった。
同じ日に撮ったフィルムはまだ少し残っているはずだ。
久しぶりに探してみようと思った。

冬枯れの田んぼ道を通って

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同じ景色でも見る位置が違えばまったく違う景色に見えてくるものだ。

いつも車で通っている道も、歩いてみるとまったく違った新鮮な景色に見えたりとか、さらに同じ道を自転車で通ると新しい発見があったりとか。
目線の高さ、移動速度、耳や鼻で感じる情報や肌で感じる情報が違ってくるからなのだろう。

八戸線に乗り、何となく眺めている車窓の風景。
「あんなところに道があるんだ」とか、「この道は駅まで続いてそうだな」とか、なんとなく気になるけれどただそれだけという道がある。
特別行ってみたい訳ではないが、行ってみたらちょっとおもしろいかも。
そんな景色を思い切って歩いてみた。

八戸市内から八戸駅へと向かうときに線路の左手に見える広々とした田園風景。
線路沿いには道もあるようで、地図で見ると八戸駅付近から卸センター付近へと抜けることができるようだ。

八戸駅前を左へと進み、えんぶりっぢの下を通って線路沿いを歩く。
最初は住宅地。
少し進むと左手には線路、右手は延々と田んぼという風景が広がっている。
八戸線と八戸臨海鉄道と水路に沿って続く道。
夏の田園風景や実りの秋を楽しむにはいい散歩道かもしれない。

それにしても数十年間八戸に暮らし、未だに歩いたことのない、見たことのない道や景色がたくさんあるというのは驚きでもあり、新鮮でもある。


八戸線の線路。


八戸臨海鉄道付近の田んぼ脇を八戸線の列車が走り抜ける。


田んぼの中にぽつんと立っている一本の木。


春になったらこの道をのんびりと歩いてみたい。

沼館大橋を越えて

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八戸市内の橋の中でも新しい方に入る沼館大橋。
この橋を歩いて渡ってみた。
ただ、それだけなのだがいつも車でばかり通る道を歩くというのは新鮮な気分になれるというもの。
しかも橋というものは子供の頃からなんとなく気になるもので、なんとなくどきどきするものだ。

手始めにユニバース下長店そばにある歩道橋を渡ってみる。
きれいな今風の、だけど無個性な住宅地の間を一直線に水路が通っている。
かつては農業用水だったのだろうか?
この橋の上からも階上岳が見える。
臥牛山といわれるように牛が寝ているような姿の低い山だが意外と市内のあちこちで目にすることができる。
まさに八戸とその周辺のランドマークだ。





少し進むとまた歩道橋がある。
この歩道橋付近から見る沼館大橋の姿は八戸というよりどこか都会の街の一風景を思わせる、少し垢抜けた感じに見える。





この日はやや風が強かった。
沼館大橋の上を吹き抜ける風はとても強く、歩道の上はいい具合に凍っていた。
足下は不安定で踏ん張ることはできない。
風は強くて大の大人がふらふらと風に流されそうになる。
子供やお年寄りは大変なことだろう。
橋を歩いていて怖いと思うなんて、何十年ぶりだろうか。
昔の塩入橋(新井田川に架かっている橋)は歩道なしの一車線のみの狭い橋だった。
ただでさえ狭いのにそこをダンプカーが頻繁に通り抜けていたのだ。
子供の頃の私はそのたびに欄干にしがみつき、車をよけていた。
あの頃は橋を歩くのが怖かったものだが、まさか歩道も完備された近代的な橋で怖いと思うことがあるとは・・・。



橋を越え、その後は沼館の公園に寄ってみる。
すぐそばを線路が通っていて、同じ敷地内には新川神社がある。
中世の沼館跡はおおむねこの付近だと思われるのだが、それらしい地形はない。
江戸時代の洪水で流され、地形がかなり変わってしまったそうだ。
おそらく、川のそばの小高い場所に設けられた平地の城館だったのだろう。

線路越しの、冬の澄んだ青い空には大きな白い雲が一つ、ぽっかりと浮かんでいた。
冬の線路とその周辺の景色というのも悪くないものだ。







再び橋を越え、住宅地の中を歩く。
今風のきれいな家。
昔からの木造建築。
敷地の中に祭られる社。
新しい土地の景色よりも昔ながらの景色の方が私にとっては落ち着ける景色だ。





沼館大橋に限らず、橋を越えると街の雰囲気や景色が変わるような気がする。
八戸市内にある橋、全部を歩いて渡るとすればどのくらいの日数が必要なのだろうか。

下長の風景

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正月のある日、下長を散歩した。

どこまで歩くか、どの辺を歩くか、細かいことは決めずにぶらぶら歩いた。
途中、買い物をしたり急に曲がってみたり。
行けたら小田八幡宮にも行ってみようか、と思っていたが、気温も下がり、日も少し陰ってきたので予定変更。
結局、あてもなくただ適当に下長を散歩するだけになってしまった。
まあ、こういう散歩はいつものことなのだが・・・。

結局、今年も去年と変わらずこうやって適当にぶらつきながら写真を撮ることになるのだろう。


道路沿いはのどかな景色が広がるが、車の通りは結構多い。


ごく普通の住宅地だが、ところどころに昔からの民家や生垣、樹木が残っている。
歩かないとわからない微妙な高低差も新鮮だ。


交通量の多い国道45号下長交差点付近。


歩道橋上から眺める景色というのもいいものだ。

少し昔の八戸の写真〜館鼻公園

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年末年始と押し入れを整理した。

読まなくなった本を売却したりカメラを整理したり。
ついでにネガも整理した。
撮影内容ごとに分けたりとかまでは手が回らなかった。
それでも、時たま手にするネガがずいぶんと昔のものだったり、今まで何度も探したのについぞ見つからなかったものだったりということがあった。

高校時代に撮ったネガは少ししか残っていなかった。
確か、二十歳前後に大量に整理した記憶がある。
おそらくその時に捨ててしまったのだろう。
同じく、就職した頃に撮ったネガも。
もったいないことをしたものだ。
あの頃の私は「写真なんていつでも取り直しができる」と考えていたが、今になってそれは間違いだったと思うようになった。

旅の写真、家族の写真、ごく普通の日常の写真、八戸の写真。
せめて今残っている分だけでも大事に残したいと思う。

せっかく整理したのだからと、ついでにスキャンしなおしてみた。
まだ一度もスキャンしてないネガもあった。
今までも何度か「少し昔の八戸の写真」を掲載したが、これからもちょこちょこ続けていこうと思う。

とりあえず、最初は館鼻公園。
今のようにきれいに整備される前の、子供の頃に遊んだ時とほとんど同じ姿の館鼻公園だ。
今のきれいな館鼻公園よりも昔の館鼻公園の方が優しい雰囲気で良かったような気がする。


撮影時期・カメラともに不明(平成三〜七年頃?)
カラーリバーサルフィルムで撮影。

鮫界隈を歩く1

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久しぶりに八戸線に乗って写真を撮りに出かけた。
目的地は鮫。
鮫駅で降りてぶらぶら歩き、湊か小中野あたりまで行こうという計画だ。

きれいな青空。
雪もなく、風も弱い。
車窓から眺める八戸線沿いの景色。
特に変わったところもなく、と思いきや小中野駅そばのビルがきれいになくなっていた。
跡地には砂利や土砂が積まれていた。
自分とはなんの関わりもない場所、建物でも昔から知っているものがなくなるというのは寂しいものだ。





小中野から白銀にかけての線路沿いは民家が並んでいる。
白銀を過ぎると水産加工関係の建物が多くなり、鮫駅付近になると顕著になる。





鮫から先はまた景色が変わるのだが、今日は鮫駅で降りる。
駅のホームにはリュックを背負い、一眼レフを持ったカメラマンの姿が。
そういえば、白銀駅の踏切でレンジファインダー機を構えた人がいた。
あれはなんのカメラだろう?ターレットファインダーを付けていたようだ。
なんとなく、キャノンのレンジファインダーっぽかったが?
鮫駅を出て鮫の商店街を歩く。





ちょうど昼時。
前に来たときに目を付けていた小さな洋食屋さんに入るつもりだったが、残念ながら休みだった。
昼食はいったん取りやめにして再び商店街を歩く。
雑貨屋で手袋を買う。
いつも使っている手袋は暖かいのだが厚くて写真を撮るときは不便だ。
そんな理由で薄い手袋を買ったのだが、今度は寒い。
うまくいかないものである。
道路沿いに並んだ建物が途切れた。
八戸線の踏切があり、踏切の向こうに第一魚市場の三角屋根が並んでいる。
この景色を見ることができるのもあとわずかだと思うと少し寂しい。
三角屋根がなくなった眺めというのはどんな感じなのだろうか。





道はやがて坂となる。
浮木寺の近くにある生活館横の公園から鮫の海を眺める。
加工場のビルが並んでいるが、昔はさぞ眺めが良かったことだろう。





再び元の道へと戻り、島向踏切から鮫の漁港へと降りる。
蕪島へ向かう人。
バス停に向かう近所の人。
そして、カメラ片手にぶらぶら歩く自分。
角を曲がり、第一魚市場前に出る。
去年撮りに来たときよりも解体は進んでいた。
まもなく消え去ろうとしている魚市場の建物に背を向けて歩き出す。





やまつ旅館の建物もなくなってしまったため、道路沿いは妙にがらんとしている。
違和感を感じる。
あまり撮る気が起きない。
街の景色の変化を撮るのも大事だろうが、撮りたくないときに無理に撮る必要はない。





再び踏切を渡り、鮫駅前に出る。
そういえば、鮫駅前の「鮫」はいつから置かれているのだろうか?
割と最近なのでは?と思うのだが・・・。













鮫界隈を歩く2(鮫〜陸奥湊)

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鮫駅を後にして湊を目指す。

歩き出したはいいものの、昼食はどうしようか。
駅前の食堂はもう通り過ぎてしまった。
今日これから歩こうとしている道筋には食堂はなかったような気がする。
普段なら食堂を求めてあっちへ曲がり、こっちへ曲がりするのだが今日はどうしても予定している道を歩きたい。
とりあえず、湊まで行けば何とかなるだろう。
そういえば、電波のあたりに食堂があったはずだ。
そこがやってなければ、その時はその時だ。

水産高校前の坂道を上っていく。
坂を上り、下り、また上り、下る。
鮫から白銀にかけてアップダウンを繰り返し、白銀駅に到着。
ここから電波はすぐ目の前だ。
駅の裏の崖沿いの道を歩く。
右手は延々と続く崖。
鮫から上ノ山まで続く丘陵だ。
眼下には白銀駅のホームが見える。
昔はすぐ海だったから、さぞかし美しい景色が広がっていたのだろう。




車一台が通れる狭い道をくねくねと進むとほどなく工大一高前に出る。
目当ての食堂は軽食・喫茶風だが、窓に張られたメニューを見ると普通の食堂っぽい感じだ。
家庭的な雰囲気の食堂。
味も悪くなかった。
こういう、のんびりした雰囲気の店に入るのは久しぶりだ。




しばしくつろぎ、店を出る。
鮫のあたりを歩いているときはそれほど寒くはなかったが、いったん休んだ後では寒さがつらくなってくる。

中道を過ぎ、少し進んだあたりから右へ曲がる。
車通りの多い通りから少し外れると急に静かになる。
冬の柔らかい日差しがいい具合に影を作っている。
昔からの町並み、特に湊や小中野でこういう景色に出会うと昔を思い出して懐かしくなってくる。
道沿いには古いアパートが、突き当たりには青い空が見える。
その先は崖。
そこを下っていくと陸奥湊駅の踏切に出る。





ちょうど陸奥湊駅を下り線が出るところだった。
踏切で足止めされるのも久しぶりのことだ。
普段職場と家の往復ばかりだと踏切を越えることは滅多にない。
走り去る八戸線を見送り、陸奥湊の駅前通りを歩く。
人通りも少なく、車も少ない。
青空の下、さわやかな気分でのんびりと写真を撮り歩くことができる。




駅前通りを行ったり来たりしているうちに上り線の時間が近づいてきた。
正月休みももうすぐ終わろうとしている。
八戸を後にしてどこかへ戻るのだろう、大きな荷物を持っている人や家族に車で送られてきた人で陸奥湊駅は混雑していた。
また湊も、八戸も寂しくなる。
そして、また、いつもの静かな毎日が繰り返されるのだろう。
私もそろそろ休み気分から抜けなくてはならない。

次に同じ道をのんびり歩けるのはいつだろうか・・・。

少し昔の八戸の写真〜小中野八丁目付近

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湊から小中野へと湊橋を渡ってすぐの小中野八丁目。
ここに安藤自転車店の建物がある。
結構古い建物のようで、私が子供の頃は当然ながら当たり前のようにあった。
その横にも似たような木造の建物があったのだが、いつの間にか取り壊され、そこにそんな建物があったことすら忘れてしまっていた。

昔のネガをスキャンしていたら、偶然安藤自転車店隣の建物が写っているを見つけた。
側面(安藤自転車店側)の姿はなんとなく覚えているのだが、河村毛皮店側の姿というのがどうしても思い出せない。
だが、若き日の私は間違いなくこの建物に惹かれ、カメラを向けていた。
写真を見てもその時のことがはっきりと思い出せないというのはどうにも悲しく、そしてむなしいものがある。

ちなみに、その前後の駒を撮ったことについては割と覚えているのだが・・・。


この写真を撮った時のことがどうしても思い出せない。


右奥にあるガソリンスタンド。
なんどか家族の車に乗って行ったことがあった。

路上から見た八戸市内の風景

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車で八戸市内の道路を走っているときに撮った、八戸市内の風景の写真。

同じ景色でも運転中と歩道を歩いている時とはずいぶん見え方が違う気がする。
いつもいつも運転中に見た景色を撮りたい、撮りたいと思っていたのだがさすがに運転中に撮ることはできない。
ということで、他の人の運転する車に乗る時にちょこちょこと撮るようにしている。
走行中の車内から撮るという、制限の多い状態での撮影。
こういう時はデジタル一眼レフと高倍率ズームがとても役に立つ。


国道45号線から見たNTT。


同じく国道45号線上にて。
もくもくと煙を吐くセメント工場が見える。


国道45号線NTT交差点手前にて。


小中野八丁目、湊橋手前にて。


小中野七丁目、八戸線の高架線とセメント工場を望む。

平成7年2月11日、厚木市山中橋にて

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17年前の今日・平成7年2月11日、天気は晴れ。
私は神奈川県厚木市を訪れていた。

目的はたまたま写真誌に載っていた、山中橋という、まもなく取り壊されるかもしれないという木造の古い橋の写真を撮ることだった。

当時の私は、生まれ育った八戸の昔からの景色を撮って残していこうと考え撮り始めたばかりの時で、何をどう撮っていけばいいのか迷っていた頃だった。

そんな時、間もなくなくなるという昔からの景色を写真に撮り、残しておくということになぜか惹かれ、また、自分の今後の写真へのヒントにでもなればという思いもあった。

現地に着いたのは昼前。
食事をしようと思ったがそれらしい店もなく、小さな店に入って菓子パンを買い、食べながら山中橋へ向かった。

途中、道を尋ねたりしながら川沿いを歩いていくと木製の古い橋が点在しているところがあった。
そのうちの一つが山中橋だった。
いざ来てはみたものの何をどう撮ればいいのかがわからない。
とりあえず数枚撮る。


自分の影を撮る、セルフポートレート。
こういう撮影を始めたのは割と最近だと思っていたが、ずいぶんと昔からやっていたことに気がついた。


この橋を渡り、右奥へと延々と歩いていった。


この橋が山中橋だったか、他の橋だったか、残念ながら覚えていない。

橋を撮ったあとは川沿いをぶらぶらと歩いた。
2月初めだというのに梅の花が咲き、薄緑の竹林が風に揺れていた。
八戸だと4月半ばといってもいいくらいの暖かさだった。




この三枚については、撮ったことすら覚えていなかった。


このとき持っていたカメラがなんだったかは忘れたが、レンズはシグマの28〜200mmの高倍率ズームだった。
このレンズは最短撮影距離が1.8m程だったと思う。
そのため、近くの物を撮るたびに専用のクローズアップレンズをねじ込んでいたものだ。

さて、生まれて初めてテーマのようなものをもって撮影に向かったのだが、できた写真は自分のイメージしていた物とはほど遠い出来だった。
撮った本数はせいぜい2本ほど。
1本はカラーネガ、もう1本はイルフォードのXP2という、カラーフィルムと同じ現像処理をする白黒フィルムだった。

あれから17年が経った。
当時だめだと思っていた写真も今見てみるとなにか自己主張してきているように見えた。
17年後の今、私はこたつに入って曇ったガラス越しに青空を眺めている。
あの時の橋や竹林は今どうなっているのだろうか。

雪の八戸中心街

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久しぶりに八戸の中心街へと出かけた。
今年初めての八戸の”マチ”だ。

今年の冬は寒さ厳しく、八戸も少しではあるが雪に覆われていた。
空も地面も白。
時間が早かったせいもあるが、歩く人の姿は少なく、寂しかった。

寂しいことは寂しいが、逆に写真を撮り歩くには好都合。
人目を気にせず、のんびりと撮影することができた。









冬の午後、下条〜湊本町を歩く。

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ある休みの日。
家族と一緒に買い物に出かけたついでに銭湯へ行くことになった。
湊の柳湯へ行くつもりだったがたまには違うところに行きたくなり、松竹湯へ行くことにした。

男山の裏から松竹湯前へと通り抜けた時だった。
冬の午後の、斜めの日差しがいい具合に湊の町並みを照らしていたのを見た瞬間、急に写真を撮りたくなってしまった。
どうしても今撮りたい。
買い物に来たはずなのに、ちゃんとカメラは持ってきている。
ということで、家族には車の中で待ってもらい、一人張り切って冷たい風の中を張り切って歩き出した。

寒い。
とても寒い。
だが、写真を撮るとき、寒ければ寒いほど気持ちが乗ってくるという習性を持つ私にとって、この日は最高の撮影日和だった。

天気は晴れ。
空の色を写して、新井田川河口付近の水の色はきれいな青だった。
冬の柔らかい斜光線が魅力的な光景を作り出している。
だが、実際は耳が痛くなる寒さだ。
そんな寒さの中、白い猫が何度も道路を横切っていく。
寒さに負けず元気そうだ。
私は早くも寒さに負けそうになっていて、耳の穴の中まで痛くなってきた。
充電したばかりのカメラのバッテリーも急激に消耗している。
カメラも私も限界だ。

50m程先に松竹湯が見えるというあたりで車に引き返すことにした。
風が当たらないだけで車の中はかなり暖かく感じられた。
その後は松竹湯へ行き、広々とした浴槽に入り、サウナを楽しんで身も心もすっかり温まることができた。

それにしても、寒い冬の撮影というのは楽しいものだ。
次の週末にでももう一度やりたいものだ。


川口神社付近から第二魚市場を望む。


川口神社前の道路から新井田川を望む。


下条集会所脇。
この日は空も水面もきれいな青だった。


夏の影と違い、柔らかい秋〜冬の影。


昔はこの階段を上り下りする人がいたのだろう。


なんとなく惹かれ、撮った。


今のレンズはかなり逆光に強くなっている。


この店はいつまで開いていたのだろうか?
中学生の頃はやっていたような気がしたが、記憶違いだろうか・・・。


火力発電所。


少し昔の八戸の写真〜鮫の廃屋

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平成4〜7年の間の冬に撮影した、鮫の廃屋。

何年に撮ったのかははっきりと覚えてないのだが、年末の寒い日に自転車に乗って震えながら撮り歩いた覚えがある。

この廃屋はだいぶ前に取り壊され、下のブロック塀の部分も今ではかなり壊れている。

例によって使ったカメラがなんだったのかははっきりとは覚えていないが、確かプラクチカBC−1だったような気がする。

夜の湊町散策

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平成24年2月17日。
今年も八戸えんぶりが始まった。

仕事を終えた私は服を着替え、車に乗って出かけた。
目的地は、湊。

昔なら大急ぎで家を出て、かがり火えんぶり会場へと駆けつけたものだ。
だが、この日はえんぶりを見に行こうという気持ちは起きなかった。
それよりも、どうしても夜の湊の景色が撮りたかった。
真冬日が続いている今だから、どうしても撮りたかったのだ。
別に寒いと何かが違うという訳ではない。
ただ、私の気分的なものなのだが・・・。

冬の夜の湊町界隈を撮影するのはあまりないことだ。
あったとしても、飲みに出たついでに、まだかすかに空の色が残っている時間に数枚撮る程度だった。
その経験から、高感度に強いデジタル一眼レフの他にISO400のモノクロフィルムを詰めたカメラを持って撮影に臨んだのだが、予想以上に夜の湊の路地は暗かった。
夏なら窓を開けていたりするだろうからもう少し明るいのかもしれない。
だが、家の窓から漏れる明かりはほんのわずかだった。
それに、昔は単体露出計の測光を基準に、勘で露出を決めることができたがそれもかなり鈍っていた。

思うように撮れず、カメラも調子が悪くなり、あきらめて帰ろうとしたその時、新井田川河口を進入してくる漁船の姿が目に入った。
甲板上には数名の人の姿が見えた。
鈍いエンジン音と、闇を切り裂く怒声が響いてきた。
漁から帰ってきたところのようだ。
漁船は、第二魚市場へと接岸した。
海の方を見ていると、次から次へと漁船が入ってきていた。

ISO400のフィルムでは撮るのは微妙に難しかった。
だが、デジカメは三脚なしでも何とか写しとってくれた。

寒い中、漁を終えて港に戻って来た漁船。
この日の撮影で一番印象的な光景だった。


松竹湯。
夜の銭湯とのれんというものは絵になるような気がする。


夜の闇に大祐神社の文字がくっきりと浮かび上がる。


陸奥男山前にて。


八戸線の線路脇。
この時間、この道を歩く人はほとんどいなかった。
家の横を通るとき、換気扇から吹き出す暖かい風と焼き魚の匂いを浴びた。


湊橋。


漁から戻り、第二魚市場へ向かう漁船。
甲板上からは大きな、威勢のいい声が聞こえてきた。


第二魚市場と漁船。

八戸えんぶり1

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平成244年2月18日、土曜日。
天気は晴れ。
絶好のえんぶり見物日和だった。

外は辺り一面真っ白、5センチ積もったかどうかという積雪だ。
馬淵川も見事に凍結していた。
えんぶりのシチュエーションとしてはなかなかのものかもしれない。

歩いてマチへと出かけたのだが、防寒靴の防水が効かなくなっていてつま先が冷たくて大変だった。
マチへ着き、いつものようにえんぶり組を探し求めてあちこち歩き回ったのだがこの日は門付け風景には出会えなかった。
仕方なく、花亀前のステージやはっち内の公演を見物して帰宅。
たまにはこういうこともあるものだ。
門付け風景を楽しむのは翌日へと持ち越しとなった。


凍結した馬淵川。
凍結した水面に雪が積もり、見事に真っ白になった。


雪の長根公園。
すれ違う人の雪を踏む音がやけに大きく聞こえた。
写真下の白い部分はフィルムが感光した部分。


花亀前のステージにて。


はっち三階から。
えんぶり見物よりも観客見物を楽しんでしまった。


大人に付き添われてステージへ。

八戸えんぶり2

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前日は門付け中のえんぶり組に出会うことができなかった。
今日こそは、門付け中のえんぶり組に会いたいものだ、と思いマチへ出かけた。

馬淵川の氷は昨日より溶けていた。
道路の雪もだいぶ溶け、歩きやすくなっていた。

中心街に着き、表通り・裏通りと歩き回ったが、しばらくはえんぶり組に出会えなかった。
ようやく裏通りで山道えんぶり組と出会い、しばらく見物。
ご祝儀の額で演目が違うのが見ていておもしろい。

その後、八鶴の蔵を見学して市役所前広場で屋台で昼食を済ませ、南部会館で休憩。
南部会館に入ったのはこれが初めて。
かつての角御殿、南部子爵邸で雪の庭を眺める。
少し殿様気分だ。

マチから離れ、売市のあたりを歩いているとかすかに手平鉦の音や太鼓の音が聞こえてきた。
去年も同じ時間帯に売市でえんぶり組と遭遇した。
わくわくしながら音のする方へ向かうと、そこにいたのは売市えんぶり組。
町内の家を門付けしているところにうまく出会えたようだ。

邪魔にならないようにつかず離れず歩いているとえんぶり組の人に声をかけられた。
しばし歩きながら話をする。
写真を撮りやすいようにと配慮していただき、とてもありがたかった。
えんぶり組の写真を撮るのも良かったが、えんぶり組の方々と一緒に歩いて見させていただくというのは、ステージで催されるえんぶりを見るよりも楽しいものだ。
売市組の方が「根城の殿様のお膝元だから」と誇らしげに語っていたのが印象的だった。

今回掲載する写真は上5枚が山道えんぶり組、下2枚が売市えんぶり組。


山道えんぶり組1。


山道えんぶり組2。


山道えんぶり組3。


山道えんぶり組4。


山道えんぶり組5。


売市えんぶり組1。


売市えんぶり組2。
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